柏原市の横穴古墳の位置が分かる地図です。
玉手山古墳群は、10基あったようですが、現在見ることができるのは3つぐらい。
私は、2号墳のすぐ近くで住んでいたようです。(40年も前です😆)
1号古墳
標識に書いているように、
「大阪夏の陣」の戦いの地
古墳の入り口に行きますと、この石碑が建っています。
「小松家の墓」
階段があり、登って行きますと、まず、「小松家」の墓がいくつか並び、奥に歩いて行くと
「奥田三郎右衛門忠次の供養碑」や他にもたくさんのお墓が建っています。
古墳の上に石碑が建っているのは、初めてみました。
(歴史苦手な私、何もかもが初めてです)
「大阪夏の陣」と小松山の戦い
この付近は「小松山」と呼ばれ、豊臣・徳川最後の決戦となった大坂夏の陣の
戦場になったところ
豊臣方が大坂城を出て河内、和泉の諸所に布陣。
豊臣方一軍は、小松山を占拠
(後藤基次・薄田兼相)
徳川軍(水野勝成・本田政明・伊達政宗)
1615年5月6日(慶長20年)
1615年5月7日(慶長20年)
豊臣氏滅びる(大坂城も落城)
徳川家
奥田忠次と家臣5名の供養碑が建てられています。
(徳川軍の先鋒として小松山に攻め上り
討ち死にした)