2021年12月29日水曜日

龍田古道 いくつかの道がありますが・・・・

 龍田古道 龍田の道

龍田古道は諸説あり、三郷町役場でも聴いてみました。

パンフレットをいただいてきました。

今日は、その一つのコースをちょっと下見です。(今日は車です)

高井田から国豊橋を渡り、国分の町に入って行きます。

龍田古道が行幸の道であったそうです。

輿を使って、大阪から河内、奈良へ行かれたそうです。

輿を使える平坦な道。

でも途中の大和川では、船を使って向こう岸に渡り奈良へ。

船を使っていたところは、今は吊り橋になっています。

赤い吊り橋。



自転車も通れるようです。



ちょっと揺れるのです。(怖い!)
私が渡るには、ちょっと覚悟がいります。
近くに青谷遺跡がありますね。
残念ながら、周辺は整備されていなくて、綺麗ではありません。


25号線「東條」を走っていると見えますが、細い道を入りますので
通り過ぎていました。

「龍田古道・亀の瀬」は日本遺産に選ばれています。

奈良と大阪の国境にある「亀の瀬」
「亀の瀬」は地すべりとの共生と戦いの歴史があります。
現在も対策工事が続けられているそうです。

「龍田古道」
聖徳太子の時代に龍田古道の整備が進み、多くの和歌が生まれています。

「龍田大社」の御祭神です。
天御柱大神(あめのみはらしのおおかみ)・・・・志那都比古神
国御柱大神(くにのみはらしのおおかみ)・・志那都比売神

「龍田風神」







神様のことを知りたいと思います。

志那都比古神は、昔、昔
イザナギノミコトとイザナミノミコトの神生みで誕生した風の神様。

伊勢神宮内宮・下宮に祀られています。
奈良県三郷町の龍田大社にも祀られています。
もう一つは、北海道だそうです。
                 
     神様にはいくつかの名前があります。

伊勢神宮内宮では、風日祈宮(カゼヒノミノミヤ)下宮び別宮に風宮があり
           どちらも志那都比古神が別名で祀られています。
         支那都比古神は、農業の神様として祀られていた神様です。
           農業には風が欠かせない存在であったのです。
              
             今は、教科書にも載っているそうです。
元寇神風の由来・・・蒙古襲来で、敗戦濃厚となった時、激しい嵐によって蒙古軍が混乱。
          奇跡的に日本の勝利となったのです。
          国家の守護神として扱われるようになりました。

シナツヒコノカミ名前の由来・・・神様の名前が「シ」は呼吸などの風を意味します。
                「ヒコ」は男性という意味。
                伊耶那岐命の息から生まれたともされるところから、
                呼吸に名前がつけられたと考えられました。

ご利益・・・・・・・五穀豊穣・国家安泰・開運招福・航海安全・風邪平癒   


2021年12月27日月曜日

大仙公園から和菓子屋さんへ

 


御陵通りを歩きました。

大仙公園内を歩くつもりでしたが、御陵通りを歩き、「小島屋」さんと「かん袋」さんまで行ってきました。

仁徳天皇陵の外堀を歩きました。

お濠でオシドリが気持ち良く泳いでいますが、寒くないのでしょうか?



かん袋さんは、売り切れでした!(残念!)
くるみ餅のかん袋・・・なぜ?
「かん袋」というのでしょう?




「かん袋」は鎌倉時代末期、和泉屋徳兵衛が「和泉屋」という屋号で
店をお餅のお店を開いたのが始まりです。

安土桃山時代に豊臣秀吉が大阪城を築城したときに、
堺の商人にたくさんの寄付を要求しました。

桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金のお礼として堺の商人、
納屋衆を招きました。

その時天守閣は、瓦を葺く工事中でした。
暑い日盛りの下で、蟻が餌を運ぶように職人が
一枚一枚瓦を運んでいました。

この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い
毎日、奉仕に出かけました。
餅作りで鍛えて腕力を使い、瓦を取っては、次から、次へと
屋根の上に放り上げました。
瓦は春風に煽られて、紙袋が舞い散るように
屋根に上がりました。
そこに居合わせた人達は、度肝を抜かれました。
これを見ていた、秀吉が
「かん袋が散る様に似ている」
とその腕の強さを称えました。
以後「かん袋」と名付けよと命令じ、
それ以後、「かん袋」が和泉屋の商号となりました。

次回は、食べて見たいです!😊

けし餅の小島屋さんで、お土産を買うことにして、
喫茶室は利用せず、帰ることにします。

けし餅の「小島屋」さんに行った帰りに「南宗寺」にちょっとだけ立ち寄り
綺麗なお寺にびっくり!
行き届いたお庭の素晴らしいこと、外壁は瓦が敷き詰められています。






臨済宗大徳寺派の寺院
このお寺のことは、ゆっくり調べて見たいと思います。
利休お気に入りの茶室もあるようです。
興味津々ですが、今日は帰りましょう!



6.12キロ 1時間45分 587カロリー

古墳カフェの前のお花です。













2021年12月25日土曜日

壺井八幡宮

 今日は、風も強く、寒い!

気温は4℃ぐらいでしょうか。

壺井八幡宮まで行ってみます。(3.3キロ)


河内源氏は壺井が始まり!

羽曳野市壺井(昔は、香炉峰(こうろほう)と呼ばれていた)

源頼朝・源義経は有名ですね。

私は歴史が大嫌いでしたので、知らないことが多いですが、

お二人のお名前は知っていました。

源頼朝は鎌倉幕府を開いた人。

源義経は牛若丸で有名。

室町幕府を開いたのは足利尊氏。

足利尊氏も河内源氏だったそうです。

歴史を嫌いだった理由の一つに、

名前と年号を覚えるところから始まる、

歴史はどうも馴染めませんでした。

ですが、ウォーキングをするようになって、

「壺井八幡宮」に何度も足を運ぶようになって

「誰が?」 「いつ?」 「なぜ?」 『そして?」

と疑問が出てきました。

そんなことから始まった、ウォーキングしながらの様々な学びを書いています。


さて、戻りましょう😊


「河内源氏」

源頼朝・源義経・足利尊氏であったのです。

河内源氏の始まり

源頼信が、朝廷から河内を任されて、

河内国の壺井を本拠地としたことから「河内源氏」と呼ばれるようになります。

二代目 頼義  三代目 義家と続きました。

三代の墓は壺井にあります。

初代 頼信

満仲の三男として生まれ

「平忠常の乱」を平常し

東国支配の礎を築きます。

二代目 頼義

河内源氏二代目の棟梁で

父頼信と共に平忠常討伐に参加し奥州の騒乱(前九年の役)

を鎮めています。

三代目 義家

河内源氏三代目棟梁で

石清水八幡宮で元服をし八幡太郎と名乗り

八幡太郎義家として後世に名を残します。

父頼義と前九年の役に参加し

陸奥守に任命され

清原氏の内紛(後三年の役)を鎮めています。


通法寺は河内源氏の菩提寺

通法寺跡が今も通法寺にあります。

通法寺跡の近くには、江戸時代の僧侶「隆光」の墓があります。

隆光は徳川綱吉に

「生類憐れみの令」の発令を勧めた人物とされています。

(隆光の生涯については、またの機会に)

壺井八幡宮は

前九年の役を平定した頼義が河内源氏の氏神である京都の

石清水八幡宮を私邸の東側に新設したのが壺井八幡宮の創設です

その後、東国の進出に伴って鎌倉にも

石清水八幡宮を新設しました。

後の鶴岡八幡宮です。

源頼朝が鎌倉幕府を開いた際に河内源氏の氏神は

壺井八幡宮から

鶴岡八幡宮に移されました。



さて、歩きます!

喜志駅からのスタートにしてみます。(東口)

美原太子線(府道32号)を進み、旧170号線へ入り、歩きます。

「桜地蔵尊」を左折しました。桜の木がお地蔵さんに寄り添うように

綺麗にお花がお供えされています。




川面町(かわずらちょう)を歩きます。
ポストも目印になりますので、写真を撮りました。(次回の参考にします)
川面町1−3−27
年末ですので、お掃除されているお家がありました。(窓拭きの男性😊)
地車小屋がありました。
紙ゴミが集められています。😆

川面町から石川河川敷公園(南一地区)の橋を渡ります。
橋からの眺めは、気持ち良い💕
白鷺が今日も飛んでいます。青鷺も遠くに見えます。
橋を渡ると看板が見えました。
叡福寺まで2キロなんですね。今日は壺井八幡宮にいきます!
いつもは、車で走っています。
目に入る風景が違いますね。

梅川が流れています。
石川・梅川・佐備川、近くに流れる川

てくてくと歩きます😊
標識があるので、安心



                   壺井八幡宮

到着です!


壺井水

源頼義が持ち帰った清水が埋められた井戸があります。
この土地の地名が香呂峰から、壺井に改められたいわれがある井戸です
前九年の役の時、戦場で水不足に直面しました。
飲料水に困った頼義は、岸壁を弓の先で
壊して清水を湧き出さ、軍の士気を高たそうです。








階段を上がると本殿があります。
今日は、横の道から入っていきました。
眺めが良いのです。

壺井権現社
ご祭神 源 頼信公  源 頼義公  源 義家公

源頼時(義家の五男)によって河内源氏の宗廟として
造営されました。
その後、多くの争いなどで、荒廃しましたが、
徳川綱吉(五代目)の命により、再建されました。



壺井八幡宮
ご祭神 誉田別尊 仲哀天皇 神功皇后


壺井八幡宮には樹齢1000年の楠木があります。

境内の乙女椿
開花が早いですね。蕾もありますが・・・


こちらも満開です。綺麗な色で鮮やか!



源氏始まりの地と言われる壺井地区は、石垣が続いています。
昔、昔の歴史とともに、歩くことができるのです。

今日は10キロほど歩きました。
寒いけれど、歩くとちょうど良いくらいです。
さてさて、次回はどこに行きましょう😊

2022年1月8日 土曜日は壺井八幡宮の予定です。
明日は、堺市 大仙公園に行きます。






































2021年12月24日金曜日

葛城古道(葛城の道)14.5キロ

プライベート本番No2

2回目のお誘いウォーキングです。4人で歩きました! 


神々の里 御所 葛城の道(葛城古道)

御所駅からバスに乗り、「風の森」バス停まで。

葛城山、金剛山、田園風景を満喫しながら、歩きます。

天候も申し分ありません。雲がない・・・少しだけでした。


奈良盆地の西、金剛山に連なる白雲峯(はくうんごう)の麓一帯に広がる大地は
古くから高天と呼ばれています。
江戸時代の初めまで、
この地を雨土の始めの時で始まる古事記の高天原と言われていました。
神々が住むとされている高天原

神々しい山々が続いています


   

風の森峠の頂上には、古事記に登場する志那都彦神が祀られています。        


金剛山から吹く強い風から、作物を守って頂くために祀られています。

     風の森神峠の西に、賀茂氏一族、発祥の地とされる高鴨神社があります。

              全国鴨(賀茂)社の総本宮 

       祭神 主祭神 阿遅志貴高日子根命(あじきたかひこねのみこと)

                

                   




鴨がたくさん泳いでいました。
舞台の上で、写真を撮っていただきました!
奈良県御所市鴨神1110

ここから高天彦神社に向かいます。



      高天の彦神社の参道は、高天の大地の傾斜地から深い森を抜けて、

               ようやく神社にたどり着きます。









ご神体は山(白雲峯)です。(本殿はありません)
高天の広大な大地は神話の舞台となったと言い伝えられています。
古代豪族、葛城氏の最高神として祀られていました。
祭神
高皇産霊神(主神)(たかみむすびのかみ)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
                  菅原道真公

         かつては、高天千軒と言われ大変、栄えていたそうです。

            南郷庵に向かいます。(12時30分をめざします)
               南郷地区では、柿畑がありました。
               柿がたくさん取れるのでしょう。
               干し柿がお店の目印です。
                   
坂を登っていきます。

                     
たくさんいただきました。
そばスープ・蕎麦がき・野菜おやき・そば寿司・蕎麦がき・ひじきご飯・盛りそば・そば羊羹

随分歩きました。

名柄神社を通り、片上醤油店の前を通り、一言主神社へ
鳥居を潜り、400mほど。
一言主神社に到着します。

一言主神社から九品寺へ
奈良盆地を眺めることができます。
疲れも出てきますが、土道をしっかり歩きました。

御所駅まで、頑張って歩きました。14.5キロ!!




スマホのアプリも挑戦してみました。

スタンプラリー!
ぜひ、チャレンジしてください💕



蝋梅が満開でした!









                      

                  
  
                 






 










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