2022年1月13日木曜日

西高野街道

 

西高野街道を歩くコースですが、一人で歩くのは楽しくない。

という時もアプリを使ってスタンプを押していくと楽しいですね😊

「スポットツアー」SortTour

アプリをゲットして楽しんでます。


愉快・爽快・空海ウォーク 20キロほどのウォークングコースです。

2回に分けて完歩したいと思います。

大小路(晴明辻)→(3キロ)仁徳天皇陵古墳大仙公園観光案内所

→(6.4キロ)12里石・関茶屋の街並

ここまでで、9.4キロです。

後半は狭山池博物館・資料館→(2.3キロ)牛滝地蔵尊→(4.2キロ)盛松寺

→(2.2キロ)原町の旧阿弥陀寺跡石造物郡→(1キロ)河内長野市観光案内所

後半9.7キロになります。


今日は、ちょっとだけ歩いてみようと大小路までやってきました。

阪堺線、大小路駅

阪堺線は路面電車ですので、すぐに次の駅があります。

宿院→大小路駅→花田口

阪堺線に並行して阪神高速が走っています。

また東側に並行して南海本線です。

とても綺麗に路線と道路ができているのに驚きました。

大小路筋



竹内街道と西高野街道が交わっているのですね。

近くにザビエル公園もあります。


この辺りから、仁徳天皇陵・大仙公園の方に歩きます。
でも、今日はちょっと寄り道してお菓子屋さんへ😊


肉桂餅 八百源

以前から気になっていた八百源さんです。
肉桂餅のお店です。

堺市在住の方に教えていただいた肉桂餅のお店です。
八百源物語
鎌倉時代、和泉・河内・摂津の3国が接するところが「堺荘」して
書物に記されたのが始まり、室町・南北朝時代、堺浦は
足利幕府の遺命船の発着港になりました。
戦国乱世の時を経て安土桃山時代、明国琉球との交易から、
オランダ・ポルトガル・ルソンとの交易
「黄金ジパング」の商港。
堺の町はヨーロッパの国々では、「東洋のベニス」と
呼称されるほどの町として、華やかな、
繁栄の日々を送っておりました。
その頃、堺の材木町にて八百屋宗源は、貿易商として
中国・ルソンなどの南方の諸国から
何百種もの香料・香木を輸入し、日本全国に
商っておりました。

宗源と肉桂餅
その香料の中で「肉桂餅」(シナモン)は香りもよく珍重されました。
しかし、香りは良いけれど辛味と苦味はとても子どもや婦人には
受け付け難いものでした。
八百屋宗源は一考し、つき上げたお餅に「肉桂」を混ぜ合わせたところ、
大変香りも味も良い餅に仕上がり、堺の名物として密かに
商われるようになりました。
これが「肉桂餅」の始まりと伝わっているようです。
豊臣秀吉

豊臣秀吉による大阪城の築城、それとともに八百屋宗源は堺より大阪へ店を移し、
貿易商人として活躍しました。
浪速のことも夢のまた夢・・・・・
大阪夏の陣、冬の陣・そして堺の街の焼き打ち、宗源の夢も
霧と消え、その後の足跡も消えてしまいました。

菓子商「八百源」
そして、徳川の世、上方文化も華やかな元禄の大平の時代、慎ましく生きて来た、
八百屋宗源の子孫は、堺の地に菓子商を始め、その名も
「八百源」と名乗りました。
家伝の菓子として伝わった「肉桂餅」、
その初代は「肉桂」を柔らかな求肥に練り混ぜ
小豆のこし餡を包み、新しい菓子として販売しました。
時代と共に堺の町衆の間で評判を呼び、堺の銘菓として
好まれるようになりました。

明治以降、またも堺を焦土と化した太平洋戦争・・・・
幾多の苦難を乗り越えて、現在の当主で6代目となっているそうです。

店頭で頂いた「八百源物語」です。
利休が大成した詫び茶の世界
一期一会のもてなしに
堺の歴史が生んだ、本物の伝統のお菓子
堺の心と、伝統のこだわり
二百数十年の技を持って、堺の誇りをもてる菓子作りに
日々、精進しております。店主敬白

茶の湯発祥の地
八百源さんのお話が続きます。
その昔、平安時代には平清盛公が福原、現在の貿易の港を開き、
中国との日宋貿易が始まりました。
その頃の堺は堺荘と呼ばれる小さな漁港に過ぎませんでした。
時代が進み、室町台地の終わり頃、足利義政公の頃になると
治世が乱れ、将軍の後継者問題なども有り、
応仁の乱が生じ乱世の始まりです。
幕府側の東軍は、神戸の港を山名・大内氏などの西軍に奪われ
当時、明国となっていた中国との貿易港を
東軍の細川管領の所有地であった堺を日明貿易の港に変更しました。

神戸が貿易の窓口であった時は、瀬戸内海、下関、そして朝鮮、中国に通じる
瀬戸内航路でしたが、堺が貿易港になってからは、
泉州沖、紀伊水道。土佐沖、種子島、琉球、中国、フィリッピン
そこからの航路を通じて、様々の新奇な商品が
輸入されるようになり、ポルトガル船が種子島に流れ着き、
火縄銃が堺に伝わったのに始まり、薬種である肉桂や当時、珍侂酒とよばれた
ポートワインなど様々な貴重な舶来品がもたらせました。
これが南蛮貿易の始まりです。

茶を飲む習慣は、室町時代に中国から京都の禅寺に伝わり
座禅の眠気覚ましに飲まれたものが始まりと伝わっています。
政治的には無関心であった足利義政公ですが、大変な教養人でもあり、
禅寺での飲茶に趣向を凝らして、茶の湯の元になる
「公家の茶湯」を創作しました。
銀閣寺はじめ南禅寺、その時代の室町時代の趣向を東山文化と
言われています。
応仁の乱の散乱を逃れた京都のお公家様や技術職人たちは、
南蛮貿易で冨を蓄えた堺の商人たちの下に逃れ、
堺商人は快く屁護しました。
もちろん高貴なお公家様の趣向であった茶の湯も
裕福な堺の商人の間に広がり、
豪商であった村田珠光が
公家の茶の湯に改良を加えて、
豪商の武野紹鴎が一つの形を創製したと言われています。
村田珠光


武野紹鴎



千利休の功名は与四郎、当時の堺では
中間クラスの納屋=倉庫業を営む商家に生まれました。
商いだけでは地位を得られないと悟った利休は、
自らの教養を高めるため、茶の湯を学び
(誰を師としたかは説が多々有ります)
独自に創意を加えて、庶民でも楽しみ、親しめる
「侘び茶」の世界を大成するに至ります。
千利休

世は戦国時代となり、織田信長、豊臣秀吉の安土桃山時代、
堺の商人も戦国時代との商いと南蛮貿易で栄え、
宣教師ルイ・フロイスがその書物に堺の街を
「東洋のベニス」と書き記すほどの
港町になり、堺の町人は黄金の日々を謳歌したそうです。
                   織田信長


茶の湯の精神は、イエスズ会士の宣教師がヨーロッパへ持ち帰り、
アフターヌティーの習慣=紅茶文化の元になったと言われています。


「肉桂餅」と「ちぬ乃月」(けし餅)を買って帰りました。
勿論、美味しかったです😊

お菓子屋さんは他にもあります。
今回は、八百源さんに立ち寄りました。
「むか新」さんで休憩しました。
イートインコーナーがあり、便利ですね。
好きなお菓子を食べながら、休憩です。

休憩後、また歩き始めます。
大小路から仁徳天皇陵まで2.5キロです。

仁徳天皇陵に近づいてきました。

世界文化遺産に登録されています(2019年)

世界三大墳墓の一つです。
仁徳天皇をお祀りしている神社が、たくさんあります。



埴輪がたくさん😊



淀屋橋ご案内