2022年3月2日水曜日

奈良・西の京寺社巡りコース

 


近鉄あみま倶楽部のスタンプラリー
今回のご紹介は「西の京寺社めぐりコース」です。
4キロコースですが、10キロほど歩きました。
「大和西大寺駅」

駅周辺、とにかく綺麗!


こんな街並み、歴史を感じますね。


スタンプにはありませんが、「菅原天満宮」
梅、満開です。

牛です。


菅原天満宮の梅です。可愛いです。





「喜光寺」
行基菩薩が祀られています。
天平21年2月2日、喜光寺で82歳の生涯を結ばれたのです。
大阪狭山市にある狭山池ダムも行基さんが造られたそうです。
狭山池博物館に行くと色々なものを見たり、お話も聴けます。
東大寺建立で、有名ですが建築、ダムなども数多く関わっておられたようです。

喜光寺
奈良時代は、喜光寺を中心としたこの地域は「菅原の里」とよばれていました。
万葉集にも詠まれています。
「大き海の みなそこ深く 思いつつ 裳ひきならし 菅原の里」(石川女郎)
菅原の里には、土師氏が住んでいたそうです。
後に菅原道真を輩出する菅原の住まいでした。

養老5年(721年)行基さんは、この地に住んでいた寺史乙丸という人物から
平城宮右京三条三坊の土地の寄進を受けられ、翌年にお寺を建てられました。
これが、喜光寺
行基菩薩は、土地の名前から「菅原寺」と名付けました。
「菅原寺」(喜光寺)は行基菩薩が建てられたお寺の中で
唯一平城京内にあり、行基菩薩の普及活動・社会事業の重要な拠点寺院となったのです。
行基菩薩は、聖武天皇に認められ、普及活動・社会事業にご尽力されます。
人生最後の大仕事として取り掛かられたのが、東大寺大仏造立です。
聖武天皇が行基菩薩に協力を求められた時には行基菩薩は76歳になっておられました。

天平20年(748)
行基菩薩が観進と大仏造立に尽力するなか、聖武天皇が菅原寺に行幸されました。
聖武天皇が御本尊をおまいりされたところ、ご本尊から不思議な光が
放たれました。
聖武天皇はたいへん喜ばれ、
「歓喜の光の寺である」として「喜光寺」の名を贈りました。

天平21年(749)
行基菩薩は病の床につかれ2月2日に喜光寺東南院にて入寂されました。
82際の生涯でした。
















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