行基
668-749(天智7-天平勝宝1)
奈良時代の僧
父 高志才智(こしのさいち)
母 蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)
行基は河内国(大阪府)大鳥郡の母方の家で産まれた
(この地は、のちに和泉国)
(大阪府堺市)
15歳で出家
(飛鳥寺の道昭を師とする)
瑜伽論(ゆがろん)
唯識論(ゆいしきろん)
教義を理解した
道昭は長安で玄奘(げんじょう)に指示
経論を携えて帰国
飛鳥寺の東南の禪院で弟子を養成
民間で井戸、船、橋を造る事業を努める。
現在は存在していない寺院も多い
行基24歳で、授戒、飛鳥寺に入る
飛鳥寺は594年に蘇我馬子が創建したお寺
日本最古の本格的寺院
(推古天皇の時代)
飛鳥寺での修行14年間
月の半分は山林修行
半分は飛鳥寺で経典学習に励む
40歳代後半から民間布教や社会事業を行う
布施屋の建設 新田開発
仏教界の異端児
朝廷による弾圧
行基集団
2年間で15の寺院の建設をしたこともある
超スピードの行基集団
朝廷から認められ、聖武天皇から大仏造立を任される
全国から寄付を募る
行基は78歳で僧侶の最高位で大僧正に任命される
752年 東大寺 大仏開眼会
行基は749年に死去
景静(けいせい)が司会者
(筆頭弟子)
行基菩薩蔵
近鉄奈良駅前行基広場
東大寺を向いている



