薬師寺は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后
の病気平癒を祈って発願されました。
しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御され、
持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺が造営されました。
697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、
翌年には構作が終わり僧侶を住まわせたことが『続日本紀』に記されています。
710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。
遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。
当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など
主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。
- 皇子の妃から皇后そして天皇へ
- 持統天皇は即位前の名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といい、父は大化の改新を実行した中大兄皇子です。13歳のときに大海人皇子(中大兄皇子の弟)の妃となり、壬申の乱(672年)を経て大海人皇子が即位すると(天武天皇)、その皇后に立てられました。天武天皇の崩御後しばらくして即位し、飛鳥浄御原令の実施徹底をはかり、藤原京を造営して新しい都としまし
