大伴黒主神社
市の東部、佐備川わ渡った所に大伴黒主神社(おおともくろぬしじんじゃ)という
名前の小さな神社があります。
歴史的に謎めいてる神社です
◇富田林の大伴黒主神社ができたのはその場所にあった黒主の墓による幽霊?
◇大伴黒主と富田林の大伴黒主神社の関係
◇大伴黒主神社のその後
神社名の大伴黒主(おおともくろぬし)とは
平安時代に実在した人物です。
平安時代の歌人
六歌仙の一人
六歌仙とは・・・古今和歌集の序文に記された6人の代表的な歌人のこと
僧正遍昭(そうじょう へんじょう)
在原業平(ありわらの なりひら)
文屋康秀(ふんやのやすひで)
喜撰法師(きせんほうし)
小野小町(おののこまち)
大伴黒主(おおとものくろぬし)
「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである
日本では、菅原道真に代表されるように、悲劇的な死が原因で恨みによる怨霊が
現れ、人々を苦しめるために、その人を神として祀り怨霊を鎮める習慣があります
大伴黒主も何らかの歴史的な事件に巻き込まれたのではないか?
そう考えもしましたが・・・
違うようです。
黒主は、近江の国の西にある滋賀郡(現在の大津市と高島市の一部)の
大領(だいりょう:郡の最高責任者)
生まれは、滋賀郡大友郷出身で、飛鳥時代の天智天皇の子・大友皇子の子孫と
言われています。
本当の苗字(氏、本姓)は大伴ではなく大友ではないかという推測があります。
黒主は歌人として有名で、その歌は古今和歌集などに収められています。
さらに、六歌仙という古今和歌集の序文に記された6名のひとりとして
名前が載るほどです。
近江で生まれ育ち、郡の役人を務めたのち、晩年は近江志賀山中に
幽栖(ゆうせい:静かに隠れるように住む)して生涯を終えています。
その後、近江の土地の人達が黒主を尊崇して、彼を祀りました。
それが、大津市にある黒主神社です。
大津の黒主神社
黒主は、歴史的な文献では「大友」と表記されていますが
古典文学の資料には「大伴」と書かれています。
ややこしい
黒主の「大伴」と古代豪族の「大伴」がごっちゃになってしまったではないか?
滋賀県の大伴黒主が活動していたのは平安時代
河内豪族だった大伴氏と名乗っていました。
直接のつながりはないでしょう。
神社の創建が、江戸時代の1826(文政9)年
当時の人達が、古代の豪族の子孫の中に有名な歌人がいたのだと思い込んだ。
河内豪族の大伴氏の中には、奈良時代の歌人で百人一首にも登場する
大伴家持がいます。
滋賀県の大伴黒主を河内豪族である大伴一族と思ってもおかしくありません。
現在でも大伴黒主神社の北側に北大伴町
南大伴町という豪族・大伴ゆかりの名前が残っています。
大伴黒主神社ができた経緯
面白い伝承
怨霊
でも、大伴黒主とは関係ないと思う
かつてこの場所に古くから黒主夫婦の墓と伝わるものがありました。
「夫婦塚」と呼ばれる小さな二つの古墳
推測ですが・・・
平安時代の滋賀の大伴黒主は、河内豪族の大伴氏の一族と思い込んでいたことが
黒主夫婦の墓の伝承に繋がったと考えられます。
ところが、江戸時代に当時の村の農民たちが田畑を広げようと考え、この夫婦塚を壊して開墾してしまいます。
すると土の中から大きな黒蛇が現れます。驚いた村人は慌てて逃げました。しかし、それだけでは済みません。その日の夜、村で大火災が発生。半数近くの家を焼失してしまいました。
「これは大伴黒主様のたたりじゃ!」と恐れた村人たちは、改めて大伴黒主を祀ることにしました。これが、富田林の大伴黒主神社のはじまりなのだそうです。
ただし黒主の墓と思われていた夫婦塚ですが、平安時代には古墳を作る習慣がありません。黒主とこの地域との接点も皆無。文献等の資料も残っていません。
ここで、出てくるのが豪族の大伴氏です。神社の近くには、古代豪族大伴氏との関係がありそうな古墳時代に作られた西大寺山古墳群(さいだいじやまこふんぐん)がありますね。
加えて、今の西大寺山古墳群のすぐ近くに、かつて山中田(やまちゅうだ)古墳群が存在したとか。この古墳は今は開発されて存在しませんが、怨霊騒動の発端である夫婦塚は、山中田古墳群の中にあったそうです。
神社が創建されてからは、地元の氏子たちに大切にされているためだからでしょうか。それ以降には祟りのような事象は起こらなかったようです。
そして近年、1995(平成7)年から1997(平成9)年にかけて神社周辺で宅地造成が行われましたが、その際にも山中田古墳群(山中田1号墳)に関する多数の出土品が出てきたそうです。
3、大伴黒主神社のその後
明治政府の施策(明治末期の神社合祀)により、1909(明治42)年に大伴黒主神社は一時、美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)に合祀されましたが、戦後1957(昭和32)年に復社することになりました。
復社したタイミングで、地域住民の自宅敷地内に祀られていた牛の形代(かたしろ:神霊が依り憑くもの)をもつ牛瀧堂を(摂社:せっしゃ、その敷地に鎮座する本社に付属する小さな神社)として大伴黒主神社の境内に迎え入れました。
大伴黒主神社が2001(平成13)年に、新たな住宅地開発のために現在地に移転します。その際に新しく鳥居や狛犬が新たに作られました。だから社殿も新しいものだったんですね。
大伴黒主神社
住所:大阪府富田林市山中田町3丁目
アクセス:近鉄富田林駅からバス。楠徳寺かがりホール前バス停から徒歩10分