2023年1月22日日曜日

亀の瀬 プロジェクトマッピング

 亀の瀬大和路線



















万葉集にも「畏(かしこ)の坂」と書かれ、長く恐れられていた日本有数の地滑り地区が大阪府柏原市にある。大阪府と奈良県の境に位置する「亀の瀬」地域だ。かつては甲子園8個分以上の面積が30メートルも地滑りした場所だが、50年にわたって行われた世界最大級の地滑り対策工事によって、今は地滑りを防いでいる。そして現在、その地域は人々が自然災害に向き合ってきた歴史を物語る遺産として、生まれ変わろうとしている。


90年前の痕跡そのままに

溶岩を含んだ層と粘土層が重なった地層が原因で、古代から現代まで地滑りを繰り返してきたとされる亀の瀬。その痕跡を確かめるのにうってつけの場所がある。「幻のトンネル」と呼ばれる、JR関西線の前身、旧大阪鉄道のトンネル「亀瀬隧道(ずいどう)」だ。

亀の瀬では昭和6年から7年にかけて発生した大規模な地滑りで、甲子園約8個分以上にあたる32ヘクタールの土地が大和川に向かって約30メートル移動し、川幅は狭まり、上流部は浸水被害を受けた。隧道にも土砂が流れ込み、トンネルは崩落したという。


平成20年、そのトンネルの一部が発見され、現在、予約制の見学会が定期的に開かれている。総レンガ造り、高さ約4・8メートルのアーチ状のトンネルの天井には黒いすすの跡が残り、かつて蒸気機関車が走っていたことを物語る。

「今、亀の瀬の地滑りの生々しさを目の当たりにできるのはここしかありません」

残された約60メートルのトンネルの行き止まりで、ボランティアガイドが指し示したその先には、レンガが崩れ、土砂が大量に流入した約90年前の様子がそのまま残されていた。

50年にわたる対策工事

隧道の崩落を招いた昭和初期の地滑りのあと、国は37年に対策工事に乗り出す。対象面積は約85ヘクタール、総工費約850億円にも上り、工期は平成23年まで約50年間続く難工事だった。

「JR関西線の車窓からは、大和川側の斜面に、常時5、6本の巨大タワークレーンが立っているのが見えたものです」

大和川河川事務所調査課の坂本竜哉建設専門官はこう振り返る。地滑りの動きを抑えるために地中に鋼管杭(くい)工560本とコンクリートを流し込む深礎工という杭を170本打ち込んだ。深礎工のうち55本が世界最大級で、直径6・5メートル、長さ最大96メートルとなった。

深礎工の設置では、地面に垂直に穴を掘り進め、底までたどり着くと今度は下方からコンクリートを打ち付けていく。「大型機械は入らないため、小型シャベルと作業員による掘削機で掘り進めます。土はバケツに入れてタワークレーンで搬出する地道な作業。1本を造るのに2~3年がかかった」という。


また、地下水も工事を阻んだ。近くを流れる大和川の水位よりも深く掘り進めると、しみ出す量も増える。このため地下水が穴に流れ込まないように土に止水材を注入し、壁面を固めながら慎重に掘る必要があったといい、同事務所の榎本博行副所長は「安全確保が必要で、相当な労力を費やしたはず」と指摘する。

同時に地下水を抜き取る排水トンネルの設置も進められ、7本、総延長約7キロが張り巡らされている。昭和初期の崩壊から、長く存在すら忘れられていた旧大阪鉄道亀瀬隧道は、この排水トンネルの掘削中に見つかった。

日本遺産認定きっかけに注目

かつて人々を脅かした地滑りが今、観光資源として注目され始めている。隧道を含む周辺地域の歴史遺産が「もう、すべらせない!! ~龍田古道の心臓部『亀の瀬』を越えてゆけ~」として日本遺産に認定されたことがきっかけだ。

今年6月の認定以来、「亀の瀬地すべり歴史資料室」や隧道の見学希望者が急増しており、管理する大和川河川事務所は、隧道の公開を、これまで年に数回に限定していたのを、7月から実験的に毎週末に実施している。すでに9月までの3カ月で400人超の来訪者があったという。


「近年社会的課題となっている自然災害と、人々が向き合ってきた要素を盛り込んだことが、日本遺産認定の後押しにつながった」

日本遺産申請に携わった柏原市立歴史資料館の安村俊史館長もこう強調する。実は、柏原市と奈良県三郷町は昨年、古代の要衝「龍田古道」にまつわる文化財や信仰の歴史を前面にアピールして日本遺産申請を行ったが落選。昨年度までに80ほど認定されていた日本遺産には「街道」「古道」といった道に関する事例が多いことから、再挑戦にあたり、他と差別化できる特色として盛り込んだのが地滑りだった。


 奈良県から大阪府へと流れる大和川。その府県境付近を「亀の瀬」といいます。

 亀の瀬は、地すべり地帯としてよく知られています。明治36年には地すべりによって河床が隆起し、その後の大雨で王寺周辺では大規模な被害が発生しました。

 昭和6年から8年にかけての地すべりはさらに規模の大きいもので、大和川が埋まってしまい、奈良県側で浸水被害が広がりました。また国鉄関西本線の亀の瀬トンネルも崩壊し、その後、線路が大和川左岸に付け替えられて現在に至っています。このトンネルが、最近の地すべり工事中に発見され、入口部分は崩れているものの、内部は良好に残っていることが確認され、年に数日の一般公開も実施されています。繰り返される地すべりに昭和35年から国直轄の地すべり対策事業が実施され、ようやくその工事を終えることになりました。



亀の瀬 こぼれ話

 ところで、昭和6年からの地すべりは、多くの人の注目するところとなり、翌年の1月から3月にかけて、多い日には1日2万人の見物客でにぎわったということです。出店などがならび、観光地となったのです。

 そのさいには絵はがきも販売され、人気を集めたようです。当館でも寄贈いただいた2組の絵はがきを所蔵しています。5~6枚入りの絵はがきですが、どうやら絵はがきの組み合わせはいろいろあったようです。地面に亀裂が入っている写真や、役人らしき人物が視察している写真、大和川が閉塞されている写真などがあり、当時の記録として貴重なものです。当館では、絵はがきの情報を集めていますので、お持ちの方は、ご連絡いただきたいと思います。

 それにしても、地すべりの見物に2万人とは。安全面で問題はなかったのでしょうか。見物に来る人の心境はどのようなものだったのでしょうか。今なら考え難い光景ではないでしょうか。



大和路線が川をまたいだ!

 たびたび地滑りが起きて被害を受けた大阪府柏原市亀の瀬地区が、再び大規模な地滑りの恐怖におののいている。大和川の上流へ向かい国道25号を走ると、右岸丘陵の農道が約10メートルにわたって1メートル以上の深さで陥没しているところがある=1967年3月30日、片山英一郎撮影。1931~32(昭和6~7)年に起きた地滑りでは大和川の河床が最大18メートルも浮き上がり、川が逆流して上流の奈良県王寺町に流れ込み民家が浸水した。また、当時右岸を走っていた国鉄関西線亀の瀬トンネルが崩壊した。


淀屋橋ご案内