2022年1月18日火曜日

石光寺


 奈良県葛城市染野387


当麻の里(二上・万葉の森)コースは、何度か行った事があるコースでしたが、ちょっと興味津々で楽しんで来ました。


石光寺、當麻寺は牡丹、石楠花の頃に訪ねます。

綺麗なお花を見るのが、楽しみでした。

石光寺に行くと、寒牡丹が咲いていました。

藁に守られてますね。

二上山の麓、激しい寒さですけど、健気に咲いています。😊

石光寺は別名「染寺」とも言われています。

「天智天皇勅願所 中将姫旧跡 染め井 糸掛桜」

拝観料をお支払いしてリーフレットをいただきました。

天智天皇勅願所・・・・天智天皇のことは、後ほど、書きます。

勅願所・・・ちょくがんじと読むそうです。

天皇の発願によって鎮護国家、皇室安全を祈るために建立された寺院、そのために指定された既存の寺院。

御願寺、勅願寺とも言われます。

勅願寺の初めは聖徳太子が創建した舒明天皇(じょめい)・天武天皇が移転改装に関わった

奈良大安寺です。

奈良時代

文武天皇(もんむ)の薬師寺。

聖武天皇(しょうむ)の東大寺。

聖武天皇が741年に諸国に建立された、国分寺・国分尼寺などがあります。

平安時代

桓武天皇(かんむ)東寺・西寺・延暦寺。

嵯峨天皇、大覚寺。

光孝天皇(こうこう)、仁和寺(にんなん)。

後醍醐天皇、後醍寺。

鎌倉時代

亀山天皇、南禅寺。

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既存の寺院も勅願寺に定められる事によって権威を誇示しようと、それを定める綸旨(りんじ)を求める寺がありました。

勅願寺の制は1871年(明治4年)に廃止されるまで存続されました。


綸旨(りんじ)・・・奉書形式の文章の一式のことです。

          蔵人が天皇の意を奉じて出します。

          多くは、薄墨の色をした宿紙を用います。

          「薄墨の綸旨」の名もあります。

          天皇の政治権力が強大である時代ほど、効力が重んぜられ

          とくに建武新政期前後、後醍醐天皇親政時に多く発令され

          ました。なお、この時期偽の綸旨の多発についても注目したい

          です。

          もともと私的な書状形式で、内容も軽微な事項に用いられ

          ました。のちに、政治的・公的事項にも使用されたのです。

          ちょっと、綸旨を探してみました。

          画像は、検索して探したものです。

          勝手に使ってごめんなさいm(__)m

     


石光寺は関西花の寺霊場第二十番です。
春ぼたん 4月中頃〜末
早春の花々 1月下旬〜3月下旬
アメリカ芍薬 5月初旬〜中頃

早春
寒咲アヤメ・蝋梅・枝垂れ梅・冬咲きにんどう
万作・寒ぼけ・土佐みずき・みつまた・きぶし
花すおう・スノーフレーク・ラッパスイセン・玄海つつじ

アメリカ芍薬
ポーラフェイ・ピンクパターンズ・アメリカ・コーラルシュプリーム
レッドレッドチャーム・ビロードクィーン・プリマベラ
春の虹・エレンカウレイ・ローズハート
ゴールデンアイルズ・サーモングローリー

石光寺(染寺)

天智天皇の時(670年)
この地に光を放つ三大石があり、
掘ると弥勒菩薩の石像が現れました。
勅願によって堂宇を建立し「石光寺」とし
弥勒如来を本尊として祀ったのが始まりです。

聖武天皇の時(750年)
蓮糸曼荼羅を織った中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を
5色に染め、桜の木にかけて乾かしたという事で
この桜を「糸かけ桜」
井戸を「染の井」、この寺を「染寺」と言います。

二上山頂まで、「しめ」といいます。

南門前には創建当時(白鳳期)の無類の形式を持つ
塔心礎が遺っています。

牡丹の庭の文学碑

初春や当麻の寺へ文かけば
   奈良の都に住むここちする
与謝野晶子

時雨ふる日は おもひいづ
当麻の里の染寺に
ひともと枯れし柳の木
京の禁裡の広前に
ぬれて踏みける銀杏の葉
与謝野鉄幹

牡丹のつぼみ色たち来たる染井寺
にはもそともゞただみどりなる
釈 迢空(ちょうくう)

背山より
いまかも飛雪
寒牡丹
皆吉 爽雨



御厨子めく藁の覆ひや寒牡丹
泊月


寒牡丹その大小をいふ勿れ
比古

寒牡丹姫の精とも姿とも
野風呂

寒牡丹足音ことりことり去る
草城

風ありとうなずきあふや寒牡丹
青畝










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