2022年1月3日月曜日

八幡市 男山 石清水八幡宮

 1月8日に羽曳野市壺井八幡宮に行きます。

その前に石清水八幡宮にお詣りしようと思い、行ってみました。

国家第2の宗廟なんだそうです。

壺井八幡宮のご祭神は

           誉田別尊(応神天皇) 仲哀天皇 神功皇后

         (仲哀天皇は誉田別尊のお父様、神功皇后はお母様です)

                石清水八幡宮のご祭神

              応神天皇 神功皇后 比咩大神

壺井八幡宮と石清水八幡宮は何か関連があって興味深いです。


源氏一門は八幡宮の崇敬が篤かったのです。


源 頼 信

源頼信(968年ー1048年)(義家の祖父)

永承元年(1046年)同天皇の山陵に任國の安穏と家門の繁栄を祈る願文を捧げており、

その古写本が石清水八幡宮に伝わっています。

「清和天皇ー陽成天皇ー元平親王ー経基ー満仲ー頼信」

一般に知られているのは、「清和天皇ー貞純親王ー経基ー満仲ー頼信」

源満仲の三男の頼信は河内国司に任ぜられて、河内国石川壺井に屋敷を構えます。



源 頼 義

1051年に始まった「前9年の役」をようやく1062年に鎮座した頼義は

翌年

鎌倉由比ケ浜に当宮のご分霊を祀り、翌年には、凱旋将軍として

河内に帰還する。

当宮の御分霊を祀り、壺井八幡宮を建立しました。


源 義 家

源義家(1038年ー1106年)

当宮で元服し「八幡太郎義家」と名乗った

1091年8月14日、義家の寝室に一羽の山鳩が飛来し、椋の実3粒を口から落として死んだ。

義家は「鳩は八幡神のお使い、定めて凶事の知らせに違いない」

翌日、石清水八幡宮に銀剣一腰、駿馬一疋を奉った


源 義 綱

源吉綱(次男)は賀茂明神で元服し「賀茂次郎義綱」と名乗る


源 義 光

源義光(三男)新羅明神で元服し「新羅三郎義光」と名乗る


羽曳野市壺井には、源氏三代の墓があります。

源頼信・頼義(子)・義家(孫)

河内源氏発祥の地・・・壺井

源頼義の墓


源義家の墓


源頼信の墓





石清水八幡宮アクセス

石清水八幡宮駅からも近いので、電車で行くのも良いですね。

ケーブルもあります。

今回は車で行きました。

「やわたのはちまんさん」

と親しまれているそうです。

初詣もたくさんのお詣りの方々が来られています。

八幡市は、木津川・宇治川・桂川が合流して淀川となる地点を

挟んで天王山と対峙する位置にあります。


一ノ鳥居から、本殿まで30分ほど、階段を登ります。

中々、体力いります。


眩しいほどの太陽
今日は、暖かです。

右手に頓宮殿を見ながら、ニノ鳥居に到着

とにかく階段です。
途中の石垣
一番古い石垣


表参道を歩いています。(帰りは裏参道)

途中で、頼朝ゆかりの松や樹齢何年だろうと思う木々が気持ち良いのです。
そして、その木々の間にするっと入り込む太陽の光


参道には一合目から十合目までの張り紙があります。
やっと到着です。


参ノ鳥居です
写真を撮ってもらいました。

立派な本殿です。











大勢のお詣りの人がおられますので、残念ですが、人混みは避けました。
人の少ない通りを探して、本殿をぐるりと回ります。


それでも、満足!
この通りです。
瓦を使った塀、見事です。
信長塀と言います!








帰りは裏参道です。
竹も見事なのです。


由緒
平安時代初め
清和天皇の貞観元年(859年)南部大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)
宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神の
「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉案申し上げたのが東宮の起源

そして、翌貞観2年(860年)
朝廷の命により八幡宮の社殿が造営され、四月三日に御遷座されました。

承平5年(935年)から天慶4年(941年)
平将門・藤原純友の乱の折、朝廷よりご請願があり、
八幡大神のご神域をもって、速やかに平定されて以来、
国家鎮座の宮として皇室の御幸は、円融天皇の行幸や
上皇の御幸は円融天皇の行幸以来、240余年度にも及びます。

明治の初めには、官幣大社に列せられ「男山八幡宮」と改称されましたが、
「石清水」の社号は創建以来の由緒の深い社号であるため、
大正7年に再び「石清水八幡宮」と改称されて現在に至ります。


























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