2022年3月17日木曜日

牽牛子塚古墳・越塚御門古墳

 飛鳥駅

謎多きロマンの旅・飛鳥”王家の谷”を歩く


飛鳥駅からスタート


近鉄吉野線








石のピラミッドと言われる牽牛子塚古墳








ボタンを押して中を覗きます。
説明が聞こえてきます。






牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)・越塚御門古墳(こしづかごもんこふん)




牽牛子塚古墳と越塚御門古墳は明日香村大字越に所在します。
飛鳥時代終末期古墳
牽牛子塚古墳は対辺22mの八角墳
2010年
墳丘裾部は凝灰岩切石が敷き詰められています。
石畳の直上からは、大量の凝灰岩切石が出土し、墳丘全体が凝灰岩切石で装飾
されていたことが分かります。
埋葬施設
凝灰岩の巨石を使用した南に開口する刳抜式横口式石槨(せかっく)
石槨内には二つの墓室があります。
開口部には二重の閉塞石があり、さらに石槨周辺に直方体の巨石で石槨を保護



越塚御門古墳は一辺10m程度の方墳
埋葬施設は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の巨石を使用
南に開口する刳抜式横口石槨で、墓室は一つ


築造年代は両古墳とも7世紀後半頃
牽牛子塚古墳の方が先に造営された。
越智岡の一角に所在する牽牛子塚古墳が飛鳥時代の大王墓(天王陵)には
八角墳を採用されている

南東側に接して越塚御門古墳が検出されたことは当該期の週末古墳を考える上で
縦横な資料となります。

天智天皇6年2月条の斉明天皇と間人皇女が埋葬された
小市岡上綾とその綾前に大田皇女を葬った記述と
合致する重要な文化資源です。



岩屋山古墳

飛鳥駅から牽牛子塚古墳・越塚御門古墳を見てこちらの岩屋山古墳にやってきました。
終末期古墳です。






昭和53年に史跡環境整備事業に伴う発掘調査が橿原考古学研究所によって実施

墳丘は一辺約40cm
高さ約12m
2段式築成の方墳
墳丘は版築
下段テラス面に礫敷

埋葬施設は石英閃緑岩(通称:飛鳥石)
南に開口する横穴式石室
全長:17.78m
玄室長:4.86m
幅約:1.8m
高さ:3m

羨道長:13m
幅約:2m
高さ約:2m

壁面構成は玄室が2石積み、奥壁上下各1石、側石上段各2石、下段各3石
羨道部分は玄門側が1石積みで羨道側が2石積み

天井石
玄室1石
羨道5石

こうした石室は岩屋山式と呼ばれています。
奈良県内
小谷古墳(橿原市)
峰塚古墳(天理市)

ムネサカ1号墳(桜井市)


小谷古墳の石棺の刳り貫き式家形石棺を使用
凝灰岩製の家形石棺が安置されていたと推定される

排水施設
玄室内の礫敷(れきしき)と羨道(えんどう)の暗渠(あんきょ)があります。
玄室内の水が、床面に敷き詰められた礫を伝わって
下層にある集水穴に集まり
そこから溢れ出た水が羨道の暗渠排水溝を通って石室外に排水される構造

更に、羨道部の天井石は一条の溝が掘られており外から天井石に伝わった水が
石室内に入ることなくこの溝の部分で遮るように工夫がされている

石室内には古墳以外の遺構として
長さ約2m・幅約9mの中世の土坑墓が検出されている

中世から近世にかけて石室内を二次利用した例は
仏塚古墳(斑鳩町)でも確認されている

石室内からの出土
土師器
須恵器
瓦器
陶磁器
古銭

被葬者
斉明天皇・吉備姫王等が候補として挙げられている。






偶然出会った方の照明のお陰で明るい写真が撮れました。

明治時代にイギリス人のウィリアム・ゴーランドが来村し
「舌を巻くほどの見事な仕上げと石を完璧に組み合わせてある点で
日本中のどれ一つとして及ばない」
と紹介しています。
(「日本のドルメンと埋葬墳」の中で)



















 

































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