2022年3月13日日曜日

西行法師 弘川寺

西行法師 

西行



平安時代末期の歌人 西行法師

小倉百人一首に和歌が取り上げられています。

「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる 我が涙かな」

いつも火曜日に歩いている石川河川敷公園には「西行うたのみち」

と言う広場があって西行の生涯が分かりやすく絵巻物なっています。


府道705号線富田林五条線を石川に向かい
石川に架かる金剛大橋を渡ります。
「金剛大橋東詰」を左折
石川サイクルロード沿いを歩くと、北東方面200mほど川を下ると
「西行うたのみち」があります。

西行法師は京都の生まれ
平安貴族でした。
佐藤義清(さとう のりきよ)
貴族の子として育ち、鳥羽上皇の住む院御所の警備兵、
北面武士(ほくめんのぶし)だったそうです。
歌人としても既に評価されていたので
歌人貴族として生涯を終えるはずでした。



1140年(保延6年)に突然出家し、西行法師となりました。

出家の原因は友人の急死や失恋など複数の説があります。

出家後は各地を転々としながら草案(そうあん)を結ます。

粗末な小屋に静かに住みます。

宗教活動や歌の創作活動を行いました。

陸奥国や高野山、吉野にも足を運びました。

鎌倉時代には、源頼朝に面会し、武道や歌道の話をしたという記録も残っています。

最後の地が南河内だったのです。

石川の東

河南町にある弘川寺を終焉の地として、寺の境内に草庵を結び

1190(建久元)年に没します。

弘川寺本堂の裏手の小高い丘の上に草案・西行堂があります。

西行が詠んだ17基の歌が刻まれた銅板もあり

石碑には19首の和歌があります。

「ねがわくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」











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