上赤阪城址は、大阪府南河内郡千早村にあった中世の山城です
1331年(元弘元年)鎌倉幕府倒幕計画が発覚したため、後醍醐天皇が笠置山に逃れました。
楠木正成はこれに合わせて挙兵し、下赤坂城に篭りました。
護良親王もこの地に身を寄せられたと伝えられています。
しかしにわか造の城は幕府軍の攻撃に耐えられずに落城し、正成は金剛山へと撤退しました。
1332年(元弘2年)に正成は再度挙兵しました。
幕府の大軍により下赤坂城は落城しますが、正成は上赤坂城址や千早城に籠り頑強に抵抗しました。
上赤坂城址で平野将監と楠木正季は多数の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ
陥落しました。
続いて幕府は正成の籠る千早城を攻めましたが、奇策を駆使する正成に苦戦します。
この間、全国的な討幕の機運が高まり、1333年(元弘3年)鎌倉幕府は滅亡しました。
遺構から戦国時代にも山城として利用されていたものと推測されます。
城は、東西の谷に挟まれた山の上に築かれました。
主郭部から北に伸びる登城道は
城坂と呼ばれる細い尾根道で四つの木戸が設けられました。
主郭部は東西に並ぶ2つの峰からなり
それぞれ本丸と二の丸が置かれました。


