今日は、風も強く、寒い!
気温は4℃ぐらいでしょうか。
壺井八幡宮まで行ってみます。(3.3キロ)
河内源氏は壺井が始まり!
羽曳野市壺井(昔は、香炉峰(こうろほう)と呼ばれていた)
源頼朝・源義経は有名ですね。
私は歴史が大嫌いでしたので、知らないことが多いですが、
お二人のお名前は知っていました。
源頼朝は鎌倉幕府を開いた人。
源義経は牛若丸で有名。
室町幕府を開いたのは足利尊氏。
足利尊氏も河内源氏だったそうです。
歴史を嫌いだった理由の一つに、
名前と年号を覚えるところから始まる、
歴史はどうも馴染めませんでした。
ですが、ウォーキングをするようになって、
「壺井八幡宮」に何度も足を運ぶようになって
「誰が?」 「いつ?」 「なぜ?」 『そして?」
と疑問が出てきました。
そんなことから始まった、ウォーキングしながらの様々な学びを書いています。
さて、戻りましょう😊
「河内源氏」
源頼朝・源義経・足利尊氏であったのです。
河内源氏の始まり
源頼信が、朝廷から河内を任されて、
河内国の壺井を本拠地としたことから「河内源氏」と呼ばれるようになります。
二代目 頼義 三代目 義家と続きました。
三代の墓は壺井にあります。
初代 頼信
満仲の三男として生まれ
「平忠常の乱」を平常し
東国支配の礎を築きます。
二代目 頼義
河内源氏二代目の棟梁で
父頼信と共に平忠常討伐に参加し奥州の騒乱(前九年の役)
を鎮めています。
三代目 義家
河内源氏三代目棟梁で
石清水八幡宮で元服をし八幡太郎と名乗り
八幡太郎義家として後世に名を残します。
父頼義と前九年の役に参加し
陸奥守に任命され
清原氏の内紛(後三年の役)を鎮めています。
通法寺は河内源氏の菩提寺
通法寺跡が今も通法寺にあります。
通法寺跡の近くには、江戸時代の僧侶「隆光」の墓があります。
隆光は徳川綱吉に
「生類憐れみの令」の発令を勧めた人物とされています。
(隆光の生涯については、またの機会に)
壺井八幡宮は
前九年の役を平定した頼義が河内源氏の氏神である京都の
石清水八幡宮を私邸の東側に新設したのが壺井八幡宮の創設です
その後、東国の進出に伴って鎌倉にも
石清水八幡宮を新設しました。
後の鶴岡八幡宮です。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた際に河内源氏の氏神は
壺井八幡宮から
鶴岡八幡宮に移されました。
さて、歩きます!
喜志駅からのスタートにしてみます。(東口)
美原太子線(府道32号)を進み、旧170号線へ入り、歩きます。
「桜地蔵尊」を左折しました。桜の木がお地蔵さんに寄り添うように
綺麗にお花がお供えされています。